9月1日は防災の日でした。
今から90年前の大正12年(1923)9月1日、関東大震災がありました。
マグニチュードは7.9。現在ではマグニチュード8.1(±0.2)とされる。
震源地は小田原の南の相模湾で、小田原を震度7、東京、横須賀、甲府、熊谷で震度6であったという。
時刻は11時58分。
お昼時で、また当時の建築物の多くが木造家屋であったことから倒壊した家屋から失火。
瞬く間に火災は広がり、火災旋風が巻き起こったとされる。
被災者は関東全域で190万人。死者行方不明者は10万人という。
外国人暴徒化のデマにより外国人を含め、吃音のものや方言の強いものなど日本人も自警団などの手にかかり殺される等の事件起こり当時の混乱がいかにひどいものであったかがわかる。
これに対し、警察や陸海軍は外国人保護に努め、下士官の要求する火器の使用を禁じ、また、井戸に毒を入れられたとのデマに対し、井戸へ行き水を飲み干すなど混乱収拾に努めたという。
この混乱での死傷者はおおよそ500人に及び中に100人の日本人を含んでいる。この数字は諸説ある。
また日本海軍は、一報が入るまでは時間がかかったようだったが、入るやいなや足の速い駆逐艦や軽巡洋艦は食糧衣料品を積み東京へ。
機密事項の多かった戦艦長門も物資を積み東京へと向かったという。
その数80隻を超えたとか。
漂流する被災者を救ったり、医療の拠点となったりとあったようだ。
この関東大震災に教訓を学ぶ番組がNHKなどで放送されていた。
火災の危険性については、最新のコンロなどでは、強い揺れがあると、自動で火やガスを止めるものなどもあり、無理して消しに行こうとして火傷するなどの負傷を負う危険性があるので、自分の家のコンロの特徴を把握しておく必要があるとのこと。
また消火器で消せる火は初期の出火で、壁に火が広がりつつあるような場合には消火活動を行い逃げ遅れるよりは、素早く必要なものを持って表に出る事が重要なのだそうです。
また、火災が広がった場合にどこへ逃げるのか?
火災から逃げるために河川敷に逃げて津波にあっては意味がありません。
どこが避難所となっているのかを日頃から把握しておくことは重要です。
また、情報収集は大事ですが、いわゆるデマに騙されないようにすることが大事です。
近年は携帯の普及から多くの情報が入ってくるようになり、確かな情報を確認することは難しくなっています。
また、携帯のつながらなくなることも予測され、やはり、ラジオの情報がたよりになることも多いとのこと。
追い込まれた時こそ冷静な対応が重要になります。
また、家具などが倒れないように固定することも大事で、特にマンションなどで高層階に住んでいる人は壁と固定することが重要だそうです。
場合によっては机の脚を床と固定するのも一時避難場所としても有効であるとのこと。
水や食料、ラジオなどの被災時に必要な防災グッズの点検も半年に一回程度行う事が大事です。
ここの所、地震以外にも豪雨被害などもあります。
防災グッズは常に持ち出しやすい所へと用意してきましょう。
最期に、防災は心構えからとのことです。
自分のところは大丈夫だろう、ではなく、地震が来たり、想像を超える降雨があり、注意報がでるなどあれば、即座に対応することが大事なのです。
避難して何事もなければ良し、
避難せずに何かあってからでは手遅れなのです。
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